ドーリットルの日本攻撃、最初の日本本土空襲(1)
- 2017/05/19
- 17:53

このところ某隣国のミサイルが、爆弾を積んで日本に飛んで
来るのではないかと、平和が続く我が国にしてはちょっとした
ゴシップねたになったり、心細い人にとっては、夜も眠られな
いほどの不安材料になっているようです。
こちらでも、一月も前の一回目のロケット発射から程なくし
たある日、小さな講演会がありました。誰が話したかなんか書
く理由もありませんから、知らない人が話しました。『万一です
よ、あのロケットが日本に到達して、どこかの都市が被害が出
たとしたらの・・・』ようなテーマでした。
戦争の話なら、聞いて損することではありませんから、自分
としては、固唾を呑んで聞いていました。東京やアメリカ軍の
基地を抱えた地方都市などでは、交通が停止されたり、警報
手段を押し間違えたりして、それなりに緊迫感はありました。
もしもっていっても、もう先の戦争から72年も経ってしまいま
したから、どう話をしても話すほうも聞くほうも本質的に真実が
どの程度あるのか分かりませんから、なんだかおかしな雰囲
気になりかねない感じでした。
結論的に、日本に一発でも(本とにそうなら一発では済まされ
ず、基地のある場所や重要港湾、空港など徹底した破壊がも
たらされることでしょうが、そんなに不安をあおると話し手の責
任問題になりかねませんから、はぐらかされる結果になりまし
た。)
最終的に、東北大震災の時に、全国民が一致団結して被害
地救済や支援に回り、テレビから歌舞音曲が消え、贅沢やもろ
もろの様相が一変すると言うような話で落ち着き、一安堵いた
しました。
何度も同じことを繰り返しますが、太平洋戦争は、昭和16 (19
41)年12月8日から始まったと区切りをつけてしまいがちです。
実際の戦争は、それよりはるか以前の昭和12(1937)年7月7日
の盧溝橋に単を発する日中戦争から始まっていました。
その頃の国民の心情を今の私たちにつなげてて類推すること
はできかねますが、やっぱり同じ人間であることは違いありませ
ん。
ハワイの真珠湾に攻撃を仕掛け戦争が始まった時、すでに
盧溝橋から4年5ヶ月も経っていました。当時の人たちは表情や
表立って口には出したりはしなかったでしょうが、やはり心中穏
やかではなかったでしょう。
まず周辺にものがだんだん無くなっていったり、歌舞音曲が禁
止され、ぜいたく品が制限されて、男性、女性知り合いが周辺か
ら居なくなったり、突然「あの人は亡くなりました…。」
と言われたり、だれ彼に監視されているんじゃないかと思ったり、
そんな現実が身近な出来事だとしたら、今のあなたはどうします
か。「そんなこと考えられない!。」と大概の人は言うに決まって
います。私だって実体験したことはありませんから、きっとうろう
ろ戸惑ったり、うろたえたり、余り頑丈な方ではありませんから、
病気になってしまうかもしれません。
じゃー、戦争ですから、ほんとにロケットとかミサイルが飛んで
きたら現実個人ではどうすることも無く、ただなるがままにする
手しかおそらくないでしょう。
太平洋戦争のときの人たちは、どうだったでしょうか?(続く)
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