謹賀新年 2017年元旦
- 2016/12/31
- 10:31

明けましておめでとうございます。今年も『青色勅額10
銭の研究』 書き続けます。皆様どうぞよろしくお願いいた
します。
昭和13(1938)年頃から、中国との戦争が影響して、年
賀状の差出まで、はばかられるようになりました。それで
も昭和18(1943)年ごろまでは、ある程度の差出は見るこ
とができます。昭和20(1945)年の年賀状は、もうほとんど
見かけなくなりました。当局に遠慮して、”おめでたい”と
はなに事とかいわれでもしたらと国民はおびえたのです。
昭和21(1946)年、戦争が終わって、国民がやっと平和を
実感するようになり、年賀はがきこそありませんでしたが、
根付いた年賀状の習慣は復活しました。
左は、楠公2銭はがきに東郷5銭切手貼り、料金加貼りで
出されています。3銭切手が手元や郵便局にも無かったの
でしょう。櫛型消印/岡山・西大寺21.1.1です。
右は、別のはがきの裏面です。
ちょつと一部読んでみましょう。
「古き日本に終止符を打ちて、新生文化国家建設の新し
き歴史に1ページを刻む昭和21年こそ苦難のうちにも明る
い希望にみちたる我等が民族の輝かしい門出に違いない
でしょう。
年はまたもや1つ増えましたが、心は昔のようにあります。
然れども本年こそは歳晩の回顧に俊悔の思いなからしめ
んと思っております。(中略)
今後益々苦難の重畳するはもとから明らかですが、新日
本の希望の萌芽を培うように無限の喜びを感じています。
しかし開国以来、本年程このように悲惨でかつ深刻な新年
は、未だに無いと愚考します・・・。
日本民族の大多数は、かくも純粋無辜で清廉潔白、世界
平和を希求し、永遠の人類愛を願いました。戦争を誘引し
た国家的な責任はありましょうが、それに打ち勝ち今日の
私たちがあることも、また忘れてはならないでしょう。
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