戦争末期の軍需工場通称号または秘匿番号のこと(6)
- 2016/12/20
- 16:03

東北地方には「扶桑」(読み;ふそう、意味;中国神話から
東方の海の果てにある巨木、またその木のある土地、転じ
て”日本国”のことです。)と言う軍需工場通称号が当てら
れました。
このはがきは、昭和20(1945)年6月29日に群馬県駒形局
引き受け、福島県郡山市にあった「扶桑第一三〇工場」に
出されたもの、全般的にこの頃の使用例が多く見つかるよ
うです。裏は勤労動員されたご主人に奥さんが種々気遣っ
て書き送った内容。
この葉書の例に見られるように、秘匿工場の住所を正確
に書いていますので、現実には軍需工場を世間から隠匿
する目的には、あまり役立た無かったようです。敵のアメリ
カ軍の空襲を回避する主目的も、すでに繰り返しの空撮に
より、ほとんど正確といって良い攻撃目標が定まっており、
”頭かくして尻隠さず”に近いものがあったでしょう。
攻め寄せる敵の猛攻に対して、国内向けに”何かやって
いるぞ!”といった内部引き締めのポーズ的意味合いが強
かったようです。
…が、こんな工場名を番号に変えるだけの行為は、国内の
混乱にさらに面倒な拍車を掛ける一方だったと推測されま
す。
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