「大阪雑信」の謎と真相の解明(9)
- 2014/10/30
- 17:52
継続した雑誌の発行は、苦労と困難の連続です。切手、郵趣という限られた小人数の枠の中での郵趣誌ともなると趣味に対する熱意だけで発行を続けるのは、もはや個人のレベルでは不可能に近いものがあります。 日本最大の郵趣誌を自認する「郵趣」に毎号のように載る基金、寄付金募集の広告はよくご存知でしょう。雑誌発行を健全に安定的に行うためには、日本最大の会員数を誇る協会でもなりふりりかまわない募金活動が行われてい...
「大阪雑信」の謎と真相の解明(8)
- 2014/10/25
- 15:35
昭和20(1945)10月14日、大分県日田駅から12kmばかり離れた大石駅まで移動する時に提出する予定だった旅行証明書、 戦争が始まり長引くにつれ、交通手段は極度の困難状況におちいりました。技術者の人的不足ならまだよいのですが、燃料が全国的に慢性的な貧困状態におちいりました。列車は、古いまま改良も加えられることもなく、窓ガラスが破損すればそのまま、板がこわれれば壊れたままのひどい状態、戦争中は、列車...
「大阪雑信」の謎と真相の解明(7)
- 2014/10/21
- 10:26
昨日お話した”目打有り灰色勅額10銭”切手の昭和20年11月頃の収集家相場価額です。神戸の谷岡某氏が兵庫県の山本某氏に1シート注文しました。 額面10銭x100枚=10円に対して分譲価額30円を記録しています。 櫛型消印の年号が不鮮明で21のように見えますが、左側の紫色のゴム印のように20年が正しいです。葉書料金は,昭和21(1946)年7月25日から、15銭に値上げされていますから、この葉書が、正しく昭和20年度使用のもの...
「大阪雑信」の謎と真相の解明(6)
- 2014/10/17
- 16:01
これまでは、「大阪雑信」第24号、昭和21年1月15日号を見てきましたが、内容的に事実と異なる部分があることが分りました。また対談場所などについても懐疑的であることが分りました。それでは、最大課題である『大阪雑信」第20号、昭和20(1945)年12月20日発行、勅額切手特輯(以下,特集と記載)号に付いて考察してみましょう。 まず発行日に関する問題ですが、これはまったく事実と異なります。この日付は、単なる”灰色勅...
「大阪雑信」の謎と真相の解明(5)
- 2014/10/13
- 15:54
資料調査にも限界があります。関西の方にお尋ねいたしますが、大阪市西淀川区の柏里町にありました、”湘南趣味通信社”が戦争中から戦後間もなくにかけて、出版したという何らかの本や雑誌、そのたぐいの出版物が存在するのでしょうか。 またその通信社には、貴賓室なる立派な建物が存在していたのでしょうか。敗戦後間も無いということもあり、記録も定かではないでしょうが、もしご存知の方があれば、ぜひお教え願いたいものです...
閑話休題、想像の翼を拡げる
- 2014/10/09
- 16:57
”想像の翼を拡げる”どこかで聞いたことのある言葉です。 今話題の新聞記者さんに限らず、物を書いたりする人は実に立派な”想像の翼”をもっています。 この新聞記事が載ったのは、終戦の年からちょうど50年目の前の年の夏でした。内容は、裏面の写真と文章が分りますからご覧ください。こちらでは、著名な木下郁(かおる)さんが、昭和20(1945)年7月17日にあった大分空襲を心配して、知人に送った葉書です。(木下郁さん...
「大阪雑信」の謎と真相の解明(4)
- 2014/10/08
- 17:12
この対談が行われたとする、「大阪雑信」第24号、昭和21(1946)1月15日を、も少し詳しく見て行きましょう。 前期のようにこれは、昭和20(1945)11月1日、大阪市淀川区柏里町の湘南趣味通信社の貴賓室と言う場所で行われました。 対談者が、3次昭和切手の3種についてあれやこれや初期発行の話について述べていますが、今現在から考えますと、この中の10銭に付いては、この日付までには、市場ではいかなる誰も郵...
「大阪雑信」の謎と真相の解明(3)
- 2014/10/05
- 16:41
「大阪雑信」の謎と真相の解明(2)で、書きました10銭にはこのようなたくさんの遡及告示日の日付けを持つ初日カバーが存在します。 東京中央郵便局の真正の消印を使用しており、当時の切手会系の人たちにより、配布されたものと言われています。 中には、自分がつくったんだと自己主張する立派なものもあります。上は、帝国ホテル内郵便局に勤めていた石田さん作ったもので、珍らしい欧文印が使われています。占領軍の中枢がい...
「大阪雑信」の謎と真相の解明(2)
- 2014/10/03
- 11:09
第3次昭和切手3種の緊急発行切手の原点となった「大阪雑信」第24号、昭和21(1946)1月15日の日付けあり、に以下のような記載があります。 この記事は、対談仕立てになっており、昭和20(1945)年11月1日、大阪市淀川区柏里(かしわざと)町、湘南通信社の貴賓室という場所で行われております。 参加者は、司会を含めて6人で、柳原某氏(奈良)、白石某氏(京都)、武田修(奈良)、佐伯某氏(京都)、木村某氏(京...